今や日本はゲーム大国。
老若男女ダレしもが、何かしらの形でゲーム機に触れているという大ゲーム時代。
短いように思えるゲームの歴史は意外に長く、現在のゲーム機の発祥は1979年代にまで遡る。
時は1972年。
人類史上初の家庭用ゲーム機はニンテンドーでもソニーでもなく、マグナボックス社から発売された『 オデッセイ 』だったのだ!
現在のゲームから考えれば、なんともアナログなCPUではなく、アナログ回路で電子ゲーム機能を実現したオデッセイの天下も長くは続かなかった。
それは1975年にアタリ社が開発したテレビにに繋げるだけでお手軽にゲームが楽しめる『 ホーム・ポン 』が登場したからだった。
ホーム・ポンも同じく、大ヒットとなり、この2つのゲーム機によって、家庭用ゲームというものが広く人々の知られるようになる。
ただ、惜しむぐらいはどちらもアメリカの会社であり、実はゲーム発祥の地は日本ではないということだろう。
残念ながら、日本が世界的にヒットするゲームを販売するのも、ゲーム大国と呼ばれるようになるのも、実はまだまだ先の話なのである。
さて、1975年リリースされたホーム・ポンだったが、実はその後の販売に大きく苦戦を強いられてきた。
それは何故か?
今なお続く、ゲームの構造上の問題とも言うべきだろうか、実は「 ポンクローン 」と呼ばれるホーム・ポンのパクリのゲーム機が多数の会社から販売されていたからだ。
また、1976年に同じくアタリ社から発売された『 ブレイクアウト 』( ブロック崩しゲーム )も多くのパクリゲームが市場に出回っていた、今で言うところの海賊版が当たり前のように市場に流通していたのである。
そして、ショッキングなことに、このホーム・ポンのパクリのゲーム機を作った会社の一つに、任天堂の姿もあったのだ……!
今では考えられないことだから、当時の時代背景を考えると、これはある種当たり前の話で、今のように著作権など気にしない会社がほとんどで「 売れればよかろう! 」という意識がとても強い時代だったのだ。
これは余談だが、この時代はゲームだけでなくありとあらゆる物のパクリが出回っていた。
今や一大ブランドである、ガンダムだって、多くのパチもんが当たり前のようにおもちゃ屋で販売されていた。
また、この時代のゲーム機にも問題があり、第1世代は今のようにカセットを替えれば他のゲームが遊べるというシロモノではなく、ソフトとハードが一緒になったゲーム機しかなかったのだ。
つまり、新しいゲームが欲しけりゃ、新しいゲーム機を買うしかなかった!
一部のゲーム機の中には、予めいくつかゲームが内蔵されており、スイッチを入れ替えることで、遊ぶゲームを選ぶことは出来たが、それでもそれらのゲームに飽きてしまえば、新しくゲーム機を買わなければいけない。
当時のゲーマーからすれば、大変な時代である。
いくらゲームに飽きたからといって、ポンポンと買い換えられるほど、当時のゲーム機の価格は安くなく、当時のゲーマーは同じゲームを繰り返しプレイしていた。
しかし、1976年にフェアチャイルド社が第2世代となるゲーム機のチャンネルFを発売したことで、やっとカセットを入れ替えてさまざまなゲームが遊べるようになった。
この時期は今の名作と呼ばれるゲームも多数販売されており、今なお人気のある名作『 スペースインベーダー 』が生まれたのも1977年のことである。